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読書がしたい主婦の日記

育児と読書の記録

本とは?読書とは何なのか?「書楼弔堂 破暁」

文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

 

 本とは、読書とは何だろうか。

本が好きといいながら、読書とは「文字を追うと楽しい」程度の認識しかありませんでした。

借りる本と買う本の違い

「読み返したいから買う」のですが、図書館で何度も繰り返し借りている本があるので全てがそうとは言えないのです。

何度も借りるのなら買えばいいと自分でも思うのですが、必要な時に内容確認できれば手元になくていい。もし、図書館からなくなったとしても、読み返せなくなったのなら諦め、忘れてしまう程度の関心だと思います。

本書の1話は「本とは?読書とは?」という問いかけと、「手元に置いておきたい本とは何か?」という問いの答えとなっています。

 

「書き記しているいんふぉめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。何方か詳しくご存じの方に話を聞けば、それで済んでしまう話でございましょう。墓は石塊、その下にあるのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に何かを見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではなく、読むと云う行為に因って、読む人の中に何かが立ち上がるーーそちらの方に価値があるのでございます」*1

 

わかる。
私が読書を楽しいと感じるのは、頭の中に世界を構築することが刺激的だから。

 

「本から立ち上がる現世は、この、真実の現世ではございません。その人だけの現世でございますよ。だから人は、自分だけのもう一つの世界をば、懐に入れたくなる」*2

 

だから人は本を買い所有するのだという。
ああ、めちゃくちゃよくわかる。

私が図書館で何度も借りている本は、いんふぉめーしょん(情報)が必要なのであって、読書した時に立ち上がるもう一つの世界には興味がない。だから手元になくていいし、失われてもさほどダメージを受けない。

あらすじと本書の効用

 読み始めて数十ページで憑き物落としをされすっきり、いや、腑に落ちたところで本題が始まります。

明治20年代。東京のはずれに灯台のような古本屋があった。人々はそこに「自分だけの一冊」を求めてやってくるというのが本書のあらすじ。

「誰が、何を求めてやってくるのか?」を解くミステリーであり、歴史小説でもあるのです。
これ以上はネタバレなので書けませんが、明治というと明治維新で知識が止まってしまっている人がほとんどです。しかし偉人達は維新後も生きました。その後の彼らに想いを馳せるとこのような物語になるのかもしれません。

 読む人の知識や関心ごとによって、立ち上がってくるものが相当違うと思います。

あのシリーズとのリンク

  百鬼夜行シリーズファンの方は、1話の「臨終」に登場する赤ん坊を抱いた女の幽霊に「姑獲鳥」を連想すると思います。白装束の古書店店主に京極堂を重ねるかもしれません。

 最後まで読み進めると、もやもやとしたものが全て晴れます。そして、「何があった、中野の神社ぁぁっ!」と叫びたくなると思います。私は叫びました。

 

 

文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

 

 

 

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*1:書楼弔堂 破暁p.40

*2:書楼弔堂 破暁p.41

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